油脂週間と油の日

 農林省に設置された油脂消費増進部会は,9月1日からの1週間を「油脂週間」とすることを決め,昭和27年から実施された。さらに昭和31年9月から,「毎月一日油の日」とすることが決められ,9月1日には産経会館国際ホールにおいて「毎月一日油の日」の集いが行われた。この年の油脂週間にはさまざまなイベントが企画され,中でも話題を呼んだのがオペラ歌手の田谷力三とのタイアップによる“花馬車の行進”。産経ホールで行われていた田谷力三一座のオペラ“ボッカチヨ”と油脂週間の看板を立て,オペラに出演する美人歌手が馬革に乗り込んで,オペラと油脂の宣伝を行った。報道機関も殺到し,大きなニュースとなった。
 また業界でも油脂販売業者,メーカー,油脂輸送各社などが協力してトラック,小型自動車,オート三輪車などに「毎月一日油の日」のステッカーを貼った。都道府県では県庁舎屋上に「毎月一日油の日」という看板を掲げるところもあり,油の日を広めるための全国的な運動が展開された。
 油脂販売業界では,紺地に白で「毎月一日油の日」と染め抜いた暖簾と幟を作り,油脂販売店,天ぷら屋などで掲げてもらうなど,積極的な取り組みを行った。



油脂小売商協組の設立と解散

 団体組織法の制定に伴い,油脂小売店の組織化を働きかけたところ,設立同意者が700名以上となり,昭和32年4月18日,東京都油脂小売商業協同組合の創立総会を開催した。初代理事長には油問屋市場の営業人である大森良三が選ばれた。モータリゼーションの到来により油脂小売商業協同組合といっても食用油だけではなく,ガソリンや灯油の販売も行っており,当時頻発した灯油とガソリンの誤販を防ぐため,ガソリン札を赤色,白ヌキで作成し,ガソリンや揮発油を販売したときは必ず容器に取り付け,誤りのないようにした。
 しかし,スーパーの台頭により食用油はスーパーの安売りに勝てず,廃業するところが相次ぎ,食用油の取り扱いを中止するところも多く出たため,東京都油脂小売商業協同組合は昭和50年に事業を休止し,昭和59年12月21日に東京シティエアターミナルにおいて解散総会を開き,正式に解散することとなった。