中国・胡麻の来た道

 胡麻は熱帯地方原産の植物で,アフリカのサバンナに起源を発するとする説が有力視されている。胡麻が世界に広がるルートは, 二つの大きな流れに分かれていた。一つは陸路で,エジプトから地中海,中東,インドを経て,中国,日本まで伝えられた。 もう一つは海路で,アフリカ東部からアラビア,インド西岸,東南アジアへと運ばれた。
エジプトでは,モーゼの時代以前から胡麻が 栽培されていたと伝えられる。種子をそのまま食用・薬用にするのと,胡麻油としての利用と,両方が一般的であった。 胡麻油は,軟膏などの薬や灯火,そして食用にと,幅広く利用された。
 インドでは,紀元前3000年頃に栄えた モヘンジョ・グロとハラッパ遺跡から,大量の胡麻種子が出土している。古代インドでは,仏教の教えで肉食が禁じられたため, 栄養補給のために胡麻が主食となった。そのため,インドの歴史は胡麻の歴史とまでいわれた。
 中国では,漸江省太湖沿岸の遺跡から ,黒胡麻の種子が大量に出土している。紀元前3000年頃のもので,この時代は稲作の初期に当たる。すなわち,中国では, 胡麻の文化は米に匹敵する歴史を有している。黒胡麻は,八穀の中でも最も優れたものとされ,不老長寿の薬効を持つ植物として珍重された。油の他,胡麻餅, 胡麻煎餅なども食べられていた。
 日本への伝来も,非常に古い。縄文時代の晩期には,既に関東以西で栽培されていたことが確認されている。 中国から直接入ってきたか,朝鮮半島を経由してきたかは定かではない。
 わが国で初めて国家によって本格的に農業が整備 されたのは,701年,天武天皇が「大宝律令」を公布した時である。農業の基幹は稲作で,農民には口分田が与えられたが, この際,園地も与えられ,ここで胡麻が 栽培された。特に胡麻は,米に匹敵するものとして重視され,租税においては, 米が獲れない時には,胡麻による代納が認められた。しかし当時の胡麻はまだ貴重品であり,身分の高い人々の食用,灯火用に供された。 庶民にとっては,荏胡麻の方が身近な油脂原料であった。