正本ため桶の作成

   油問屋の商売が発展すると,容量を統一する必要が生じた。それまでは問屋毎に違うため桶を使って搾り油屋で詰めていたので,店毎に容量が異なり,したがって相場も違い,顧客に不公平が生じていた。そこで8軒の京向・江戸向油問屋が集まって相談した結果,搾り油屋・問屋双方が立ち会い,正本(正しい拠り所)となるため桶をつくろうという事になった。搾り油屋に相談したところ同意を得たので,製作にかかった。正本は,絞升で計って,九升と一斗の目盛りのあるため桶をつくることに決めた。そこで町奉行・石丸石見守定次に願い出ると,石丸は,ため桶が出来たら箱に入れて,問屋の封印をして絞り油屋に預け,必要な時に両者立ち会いの上取り出して正本にせよと返答した。
 正本は慎重な作業と修正を経て完成し,以後は毎年新年に,この正本を基準として新立桶を製作することとなった。正本の方は,幾千年経っても,つくり直すことは固く禁じられた。正本から新立桶を写す時は,無心中庸の心で行うべきとされ,容量の正確さがいかに重視されていたかがわかる。
 江戸向けの油樽は,当初は裸樽だったが,寛永19年(1642年)春,備前屋宗兵衛が,筵で包んだ樽を出荷した。これが使いやすく評判になったので,江戸から全てこれにして欲しいと要望があり,以後はどの店も,江戸向けの油は包み樽で出荷することとなったという話が伝わっている。